
メイプルストーリーは治安の悪さでも非常に有名で、それを理由にして今昔変わらず引退者(ゲームをやめる人のこと)が絶えないのも大きな特徴です。

(ウィキペディア参照)
上記の絵に記されているような低年齢プレイヤーの続出、ネクソンジャパンによるゲーム管理の不徹底(『メイプルストーリー内のオンラインゲーム通貨とリアルマネーの取引について』で述べたように)など、治安が悪くなっている理由は色々あると思いますが、1つの大きな原因として『チャット機能』が挙げられると思います。
メイプルストーリーほどチャット機能が充実しているオンラインゲームは極めて稀(まれ)であり、ポイントアイテム『拡声器』によってその機能はさらに拡大し、各サーバーにいるプレイヤー全体にメッセージを配信するシステムも採用されています。
そういったチャット機能の手頃さから、キャラクター間の『詐欺』や『暴言』といったものが容易となり、その結果として治安が悪くなってしまうのだと、一面的には見受けられます。(つまり、チャット機能の豊富さが治安の悪さに繋がるものとして裏目に出ている、というわけです)
詐欺や暴言の外圧を受けて、ふさぎこんでしまって最終的にはゲームをやめてしまう、というケースが多いように思います。
『詐欺』『暴言』といっても色々なパターンがあるのですが、普通に利益収入を得るために不特定多数に対して働きかけるような通常の詐欺を除けば、こうした詐欺や暴言の対象として特定的に狙われるのは、心理的にも多くの場合は、皆から『憧れとされている人物・妬まれている人物』か『軽蔑されている人物』などの『有名人』に集約されると思います。
そういった『有名人』に『暴言』を働きかける人々の心理的な動機は、大まかに分けて2つあると考えられます。
1つは純粋な『妬み・恨み・憎しみ』であり、ゲーム内のごたごたによって何かがあって、相手の存在そのものを許せないと切に願うまでに達した行動原理によるもの、もしくは『こっちの方が少し強い、あっちの方が少し強い』などといった攻撃力とレベルのどんぐりの背比べから生じる妬み、もう1つは『遊戯心』であり、そうした憧れ(あこがれ)の対象や蔑み(さげすみ)の対象をもてあそぶことで自らが優越感を得る、ストレスを解消させる、人を傷つけることで日ごろの楽しみの日課とする、などの願望を持ったプレイヤーによる心理的傾向として分析できます。
少し表現が抽象的すぎましたが、ここで具体的に取り上げたいのはゲーム内の『ランカーや火力・武器防具強化の強い人に対する誹謗中傷の多さ』についてです。
『ランカー』というのは公式サイトにも載っているような、ゲーム内キャラクターのレベルの高い人、そして『火力』というのは各々プレイヤーが所有するキャラクターの、敵モンスターに与えることのできる攻撃力のことです。
攻撃力はレベルをあげて所定のAP(アビリィティポイント)を振り分けたり、武器防具を強化したりすることによってあがっていきます。
このゲームでは大まかに、上記の『憧れ・妬みの対象』とされる人、そして『軽蔑の対象』とされる人は、こうしたレベルの高い人や攻撃力の強い人に大きくしぼれると思います。
あらゆる人々が居合わせるオンラインゲーム内でレベルをあげてランキングに載ったり、攻撃力をあげてボス戦に参加したり、そうした目立ったことをして有名になる以上、もはや誹謗中傷の外圧を受けるのは自明(当たり前)と考えられます。
各々レベルの高い人や攻撃力の強い人は、そうした誹謗中傷に対抗するだけの心、そして力を、しっかりと身に付けていかなければなりません。
有名になることがそのまま誹謗中傷に直結するのはもはや自然の摂理ですので、少なくとも『終世魔』はそれが当然だと思います。
ところが最近このゲームの様子を見ていて思うのは、こうしたレベルの高いランカー、攻撃力の強いプレイヤーに限って精神力の弱い人が多い、つまり、レベルや攻撃力といった『データとしての数字の高さ』ばかりに執着した人があまりに多く、強さというものも形だけになってきているのではないか、ということです。
レベルをあげたり攻撃力をあげたりと、それだけ有名になるような、他人に見せびらかすようなことを好き勝手にしてきているのにも関わらず、他者の外圧に対抗するための心の強い人があまりに少ないのではないか、と思うわけです。
攻撃力を強くしたい、レベルを上げたいと思いつつも、他人からの誹謗中傷は怖い、そういう都合のよい人が多いように見受けられるのですね。
悪意に満ちた現実に対抗するだけの力がまったくないにも関わらず、有名になったり自分の好き勝手にやろうとしたりするような人たちが増加している――それはちょっと、都合がよすぎやしないかと、『終世魔』は思います。
このゲームに限ったことではありません。
1人の人間が、悪意なく世界中の誰もから好まれるなどということは、決してありません。
有名になるということは、それだけに覚悟が必要なのです。
自分でしっかりと自律するなり、友達や恋人に支えてもらうなり、他者に対する外圧から自分の身を守るための手段を開拓することのできない人には、このゲームだけでなく、そもそも現実世界で生きていく力すら、まったくないような気がします。
このゲームで他者の外圧からすぐに逃げて引きこもっている地点で、もはやその人は人格的にスポイルされているような気がします。
1番この記事で言わなければならないのは、レベルや攻撃力をあげ続けて自分が強くなった気でいる人が、このゲームにはずいぶんと多いように見受けられますが、それは勘違いだということです。
レベルや攻撃力など、結局はただの『パソコン上の数字のデータ』でしかありません。
それが真実です。
レベルや攻撃力をあげて『自分は強くなった』と言い張る人に限って、その一方では他者からの威圧に対しては『精神的にきつい』『鬱だ』などと言うようになり、最終的にへこたれてゲームを引退していくわけです。
肝心の『心』がまったく強くなっていない、そういう人が多いのではないでしょうか。
ゲームをやめるという行為は、他にもっとやりたいことがあったり、時間が切迫したりしたとき、つまり、自分の意志でやめる方向で進めていくのが当然であり、他者の外圧によってやめさせられるなどという展開は、正直かっこ悪いとしか言いようがないですね。
レベルや攻撃力ばかり執拗にこだわる一方で、肝心の心や精神力が惰弱ですぐ引退したり引きこもったりしているような人に、そもそもそういったレベルや火力を獲得する権利などないのではないか、とすら思います。
レベルや攻撃力を強くしても、プレイヤーの心や精神力が強くなるとは限らないのです。
これは強く言っておきたいことですね。
そうした精神面の強さは、本当にランカーの品位に関わる問題であると思うので、『終世魔』個人としては、もっと高レベルの方々には身振り素振りをしっかりして頂きたいと考えています。
少なくとも、攻撃力やレベルの高いプレイヤーであっても、しっかりとした精神力や発言力がなければ、その力はまったく意味を成さない宝の持ち腐れである、と『終世魔』個人としては思う次第です。
何のためにレベルや攻撃力を得てきたのか、高レベルの方々は1回それらを見直してみてはいかがでしょうか。
『ランカーはチャットをまったくしない、スペックと攻撃力だけで、いつもボス戦ばかり、何より叩かれるとすぐへこむ、黙り込む、チャットが全然できないし頭が悪い』と揶揄されて『終世魔』まで一緒くたにされるのも、正直迷惑な話だったりするわけです。
攻撃力やレベルを高くするからには、それなりに各プレイヤーの方々にもプライドというものがあると思います。
そのプライドにかけても、強く立って欲しいと願うばかりですね。
もちろん考え方が違う人もいらっしゃるでしょう。
『レベルや攻撃力をあげてきたのは単なる遊び、ゲームだから』ということもできると思います。
ただ、その考え方でいくなら誹謗中傷の暴言を吐かれた際に『精神的にきつい』と自称することは矛盾していると思います。
『完全に攻撃力やレベルを遊び・ゲームの領域として考えているのなら、誹謗中傷されたとしてもそれも遊びとして受け入れるべきであり、そもそも精神的にきついなどと言うことは間違っている』と思います。
『精神的にきつい』と発言した人はあまりに自分に同情しすぎていて、典型的な弱者と言えるのではないでしょうか。
自分に同情するな、とは言いません。自分をいたわることは大切ですが、己を律するためには完全にそっちに流れてしまってはいけませんね。
やや話がずれますが、『終世魔』もメイプルストーリーでは3番目にレベル200となりましたが、『終世魔』自身もむしろこうした攻撃力やレベル、ボス戦での動きに対しては遊びとしてとらえる側の考え方であり、いたってマイペースに育成してきました。
継続力やちょっとした根性は確かに必要なものだとは思いますが、偶然パソコンやインターネット接続の環境に恵まれ、レベルをあげる機会に恵まれ、もてあました時間を適当に使ってレベル200にした感じなので、元々そこまでレベルや攻撃力に対して、必死というほどの執着はありません。
そうした遊びの範囲で攻撃力やレベル、そしてボス戦での動きも自分なりに技巧し、アレンジしてきました。(バーサークを使用したジャクムなどがよい例でしょうか)
楽しむことが第一に大切だと思うので、やはりすべて遊びとして認識しています。
ところで『暴言』という行為に関してですが、ネクソンジャパンがそういった暴言を徹底的に取りしまらず、それらの行動を黙認している以上、『終世魔』もそれに准ずる態度を取っています。
また、ネクソンジャパンの意向に関係なくとも、『終世魔』自身、今のこのゲームにある『暴言』といった行為は、むしろそのまま残しておいてよいのではないか、とすら思っています。
そもそもそういった『暴言』というものはこのゲームに限らず、現実世界のどこでもつきまとうものです。
人というのはすべての他者から好かれるということは決してなく、嫌われることが度々あり、その際に暴言、つまり、責められるような発言というものは、必ず受けていくものです。
そういった外界に対する自己訓練・修練として、己を鍛えあげさせるという意味でも、『暴言』などを1つの越えるべき壁として設定し、乗り越えていく努力をすることで現実に対する確実な力を身につけていくことのできる人が増えていく、そう考えれば積極的です。
完全に『暴言』のない甘やかされた世界は、人を骨抜きにして最終的に駄目な人格を形成するばかりだと思います。
こうしてこのゲームでもレベルや攻撃力だけの『数字のデータ』に目を向かわすばかりで、強い精神力や強い心(さらに言えばチャット能力)の養われていない弱者がランカーから放逐され、心の強い者だけが残っていくと考えれば、それはそれでよいことなのではないかと思います。
今まで何も害悪な考えを持つ人々からの接触、誹謗中傷を受けてこなかった人にとっても、これはその人の心をしっかりと鍛えあげるだけの好機であり、そう考えると、ある程度の暴言は別にそこにあっても、むしろ人を成長させるものなので、『終世魔』としても肯定的に見なせるわけです。
やや鬼教師的なことを言っていますが、それが人間の常だと思います。飴と鞭という考え方は、いつでも必要です。
どんなにつらいと思えることも、心持ち次第でいくらでも機会やチャンスにすることができるのです。
『横』や『暴言』といった要素もまた、このオンラインゲーム・メイプルストーリーを創りあげている1つの要素として考えたいと思っています。
これは余談ですが、不思議なことに、むしろ『心の強さ・うたれ強さ』といった点では、そういった『暴言』や『横』をする人たちの方が圧倒的に身に付けていた、というパターンも『終世魔』はたくさん見てきました。
当然、『暴言』や『横』をしていながら、いざ自分が叩かれると『精神的にきつい』と言わんばかりに甘える、本当に駄目な子供が多いのは言うまでもありません。
暴言を吐いていいのは、暴言を吐かれる覚悟のある人間だけだと思います。
しかし稀に、前述した心の強い子供というのも何人かいます。
形だけで精神力の惰弱な高レベルランカーと比べると、どうしても『終世魔』としてはそのような人たちの方に好感を持ってしまいますね。
さらに言えば、そうした『暴言』といったチャット能力を試し続けることを自らに課したプレイヤーは、会話能力やチャットのユーモアセンスに関して、常軌を逸する者が多かったのも確かなことです。
そうした会話もまた、ゲームの楽しさを追及する上では必要な要素となってきていますね。
あまりに道徳的・倫理的・他人行儀にすぎた言動を働くことにこだわり続けた結果、チャットやゲーム内の行動がマンネリ化し、甘やかしあった高レベルプレイヤーたち、要するに、思考も言動も閉鎖的になって凝り固まって、他の発想や他者に対して排他的になってしまった人たち、かたよった生き方をしている人たち、そういった集まりをさくらサーバーでも何度も見てきましたが(総じてランカーたちの会話能力が低下しがちなのも、こういった背景が起因しているように思えます)、『終世魔』に限っては、どう転がってもメイプルストーリーの『無頼者』、『ギャングスタ』とでも言える人たちとの付き合いのほうが、純粋にゲームを楽しめているといった感じです。
もちろんそうした無頼者たちにも問題点や欠点は絶えずながらあるのですが(問題のない人間なんていません)、言動や態度が自由だからこそ、あらゆるものを吸収しようとする心構えは確かに幅広いので、物事の理解力は果てしなく彼らの方が上なのではないかと思います。
何かにこだわりすぎて生き方をかたよらせていくということは、逆を言えば、その他のことは何もできなくなってしまうことの、臆病の裏返しです。
やはり『終世魔』の周囲にいた同職であるダークナイト系列(当時ドラゴンナイト)の方で、『終世魔』がレベルをあげていくことによって、逃げるようにキャラクターを消していってしまったという人が何人かいました。
はたまた、これは最近知ったことですが、レベル100頃まで『終世魔』とずっと一緒にレベルをあげてきた親しい仲のプリーストが、メンタル的な問題で今年の2月頃に自殺して亡くなられたそうです。(ここでは誰であるかは特定はいたしません)
レベルや攻撃力以外に輝かせるべきものが多々あったはずなのに、レベルや攻撃力といった数字に対して価値観をかたよらせてしまっている、そして何よりも精神的に弱ってしまっている、というわけですね。
どうにもこのゲームには、メンタル的な部分において心の弱い人が多いような気がします。
誰であれど人は心が弱いものだとは思いますが、だからこそ外界と接するために武器を持って力強く立ち上がろうと、賢明にあがくのだと思います。
メイプルストーリーの多くの人々には心を強くするための訓練が必要だと、切実に思う次第です。
レベルや攻撃力といった要素に関わる以上、他者の暴言からは無縁にはなれません。
そして精神的な強さを身に付けることや、自律心からも無縁にはなれません。
ゲームだからといって決して甘くはなく、やはりそこでは現実と同じで、血も涙も見る必要があります。
『終世魔』も言い換えれば、たくさんの人々の血と涙の上にこうして立っているわけです。
それらを組み込んだ上で、すべてがそこでは戦いを必要とするものです。
戦う意志のない者や力なき者、全てを寛容的に見なさず楽しもうとしない器の狭い者に、何かを得る資格はないとすら『終世魔』は思っていますが、これはあくまで『終世魔』の考えですので、当面ここで言わねばならないことは、『レベルや攻撃力を果てしなくあげているのだから、最低限それに見合うだけの、暴言や外圧に対して耐えうるだけの精神力を身につけるくらいのことはしろ、すぐに逃げたりするな』といったことなのです。
基本的にこのホームページの記事執筆では、いつも自分の好き嫌いを入れないように淡々と語っていく、説明書のような喋り方をするように努めてきましたが、ここは新しく新設した『随筆(エッセイ)』のコーナーということで、このコンテンツの文章ばかりは、『終世魔』の美学を入れさせていただいています。
要するに、かっこいいものや綺麗なもの、強いものや自律したものが、『終世魔』は好きなのですね。
『終世魔』は、攻撃力やレベルの高い人には、それ相応の『中身』や『心』、何より『言葉』を期待したいと考えています。
はっきり言えば、攻撃力などの数字ばかり鍛えるだけで精神面の弱い者は美しくない、ということです。
パソコンのスペックに甘えてボス戦での動きばかりよくして攻撃力を見せつけるだけいばり腐っているような人よりも、そういったレベルや攻撃力はあくまで『心に添えつけるためのオプション』として考えられる人、人を魅了するような強い心を持ちつつ、それに添えつけるように攻撃力やレベルをおまけの見かけとして考えられる人は、確かに上に立つにふさわしい人として考えられるわけです。
心や精神力の強さは『前提』です。
その次に、ようやくレベルや攻撃力、ボス戦での動き(プレイヤースキルなど)がくるのだと思っています。
確かに反面的に、パソコンのスペックの悪さや職の性質を言い訳にして自分の集中力や技巧のなさを棚に上げ、そのまままったくゲーム内のボス戦闘中の動き等を進歩させる気のない人がいたり(むしろこちらの方が多いのかもしれませんね)、いつも口だけで周囲に迷惑をかけるプレイヤーというのもずいぶんと見てきた以上、プレイヤースキル――つまり、『口だけでなく行動で示せ』という、集中力や技巧といったものもしっかりせねばならない部分だと思いますが、それ以前に、まず心構えといったものが大切だと思います。(行動の前提はいつでも心構えです)
レベルや攻撃力を強くすることを恰好として否定はしませんし、『終世魔』としてもそこはむしろ、ゲームをやる上で必要なことだと思います。
レベルや攻撃力に関して全否定は決してしませんが、それで自分が最強になっただとか、えらいだとかなどという人は大きな勘違いです。
レベルや攻撃力だけで、終わってはいけないのです。
それがこのエッセイでの趣旨です。
はっきり言って、高低レベル関係なく、今のメイプルストーリーはかっこ悪い人が増えたと思います。脆弱者が増えたと思います。
問題解決能力もなければ信念もない、発言力もなければ自律心もない、すぐに『鬱』だとか『精神的にきつい』などと言い訳をする。
メイプルストーリーを観察していて残念なのは、攻撃力やレベルだけに特化されていて発言や態度がかっこ悪かったりするような人たちばかりで埋まっているということです。
攻撃力、レベル、そういった外見上の強さも大切ですが、それ以上に心の強さといったものが大切だと思います。
メイプルストーリーを通して『真の強さ』というものについて考えてみることは、非常に楽しいことです。
皆さんも1回ご一考なさってみてはいかがでしょうか。
